1999年

エル・アール 11号 掲載
編集長 山本育夫


一九九八年九月十二日
開発好明インタビュー
聞き手:岡村恵子
(東京都現代美術館学芸員)

 


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岡村:今日はシンプルなスタイルですね。土曜日だから?


開発:洋服は、この五年間ぐらいずっとグレーばかり。
    グレーの服って今までカッコいいのがなかった。
    買いたくても買わなくてすむから、お金を使わなくてよかったんだけど、
    今年はすごく出ているんだよね流行らしくて。
    今年買っておかないと、カッコいいグレーの服はしばらく出ない(笑)。

岡村:外見を大切にするんですか?

開発:結構、外見から入るのが好きなんだ。
    プラプラしている時も何かをつくっている感じがするから。
    手堅く言うと、「息をしていることも作品」。スタイルから入る。
    九二年に、ギャラリーなつかでやった「脳みそ停止」っていう作品から、
    「自分は社員」というイメージでグレーのサラリーマンになった。
    グレーを着ることで、モノづくりをしなくちゃという気持ちになる。


岡村:コンセプトの一環として、生活の中に取り入れるということですか?

開発:そう。生活を染めちゃいたいと思う。作品もグレーで描いていた。
    色を捨てると、形が見えてくる。
    何かを捨てると、違うところにこだわりが出てくるような気がする。

岡村:色を捨てた時の色が、グレーということ?

開発:色を捨てたというわけではないんだ?(絞ったと言った方が正しいかな)。
    白人と黒人がいて、それを単純に混ぜたのがグレー。
    肌色=グレー。これが日本人の基調色だと思う。
    ニュートラルで癖のない色。
    OA機器はみんなグレーだよね。
    そのニュートラルさが、一番楽なんだと思う。
    ところが、ある時期がくると、
    個人のニーズに合わせて色がつく。
    新しいMacみたいにブルーが出たりとか。
    全体を表わす時は便利な色なので、グレーを着ている。

岡村:「脳みそ停止」の時には?

開発:「ADF(ART DEVELOPMENTFIRM)」の時もグレーのサラリーマンだった。
    もともとは自覚的に始めたんだ。
    僕の頃は、回りで誰も営業なんてやってなかった。
    「拾ってくれればいいや」「借りれればいいや」という感じなん
    だけど、「それだけではいかん」という気持ちとの葛藤もある。
    僕は意外と人みしりをするので、演技をしないと人と話せない。
    自分を売り込めない。
    作品のファイルを持って「よろしくお願いします」と言っても、作家とし
    ての卑屈さが出てしまう。
    本当はマネージャーがいればいいんだけど、そんな人はいないしね。
    それなら、自分の中で演技ができる架空の存在をつくればいいと思った。
    「ファーム」は二人以上の会社という意味なので、僕自身を作家と営業マ
    ンに分けて、作品以外で人と話す時は?(背広)を着て演技してやってい
    こうと思ったのがあの作品。

岡村:役柄は社長じゃないんですか?

開発:文化推進部(笑)。しかも、営業マンの名刺しかない。作家としては作家名
    刺があって、協賛がADF。

岡村:最初にADFを見たのは、「シミュレーション野郎か?」という時期でしたが、
     意外と生々しいものがありましたね。


開発:あの学生時代の頃は、美術手帖ばっかり読んでいた。それに刺激されて、「
    今はシミユレーションが流行か!」なんてね。だけど次の月にはもう「ネ
    オジオ」 なんていう特集で、一ヵ月でそんなに流行って変わるものかな
    って…(笑)。

岡村:情報にもて遊ばれましたよね。

開発:「これはあぶないぞ」って、思い始める年代だった。

岡村:ある意味で、真面目でした?

開発:僕、生真面目なんですよ。そうは思われないみたいだけど(笑)。

岡村:真っ当ですよね。

開発:美術が好きなんだ。でも、つくることはそんなに好きじゃない。一度、オブ
    ジェ展で、棚に雑草を入れて賞をもらったことがある。あるモノとあるモ
    ノを組み合わせてつくるのは結構好きなんだ。
    「こういうのがいいねぇ」なんて言われると、つい反発してカッチッとし
    たものを作るんだけど、それは「良くない」って言われる。
    回りの影響はないと思うけど、自分の中で「つくらなきゃいけない」「つ
    くらなくてもいい」っていう気持ちが葛藤している。

岡村:最初は、絵を描いていたんですよね?

開発:ところが絵を描いていたら、ノイローゼになってしまった。絵の具をカンブ
           ァスに乗せられなくなって、真っ白のまま。
    目の前にきれいな紅いリンゴがあっても、「僕が紅いリンゴを描くって、
    何だろう」と思ってしまう。
    それが予備校の時だから、最悪ですよ。
    これから大学を受けるのに、そんなことで悩んでいる時間なんてない。
    でも、目の前にあるものをカンヴァスに移しかえることが、とても無意味
    に思えた。
    僕にとってはそんなにリアルなことではなくなってしまって、何色ものせ
    られなくなってしまった。
    そのうち、夏休みに予備校で「アッサンブラージュ大会」があった。
    木を切っていたら、これが筆よりいい。
    汗を流して何かをつくるっていうのは、楽しかった。
    十八歳で、インスタレーションが肌にあっていることを自覚したわけ。
    受験のためには絵を描いたけど、それはあくまでも作文としての「絵」だ
    った。

岡村:最近、また絵を描いていますよね?

開発:絵が好きで描いています。でも油絵は性に合わなかったな。

岡村:美術と言えば、油絵ですものね。

開発:建築科の兄貴に「デザインよりも油絵の方がツブシがきく」なんて言われた
    から。
    ツブシがきくなら、油絵を受けようと思ってね(笑)。
    それに武蔵美の卒業制作展を見に行ったら、やっぱり油絵の方がおもしろ
    い。(でも本当は逆だけど)
    みんなが好き勝手にやっている。それで油絵をやろうと思った。
    ところが最初の何カ月間で、どーんと嫌いになっちゃった。
    だって入試のために上手くなるなんて変じゃん。
    そこから復帰するためにやったのが、このレシート日記です。
    九二年から、毎日レシートを手に入れる。僕のライフワークです。

岡村:ご自分が買ったもののレシートですか?

開発:そう。買って、ノートに貼って、その時に思ったことを描いていく。
    最初の頃は、字だけでしょう。
    (ノートを繰りながら)この辺になると何でもよくなっているね。
    これはごく最近のもの。
    絵を描くことが全然できなくなっちゃったんだけど、これではまずい、「
    絵を描くことは楽しい」と思うように自分を取り戻さなくてはいけない、
    と思った。    
    格闘しながらも、とりあえず字だけもいいからって、始めたんです。
    ちょうどこれを始めた時、セブン・イレブンでは買ったものをレシートに
    細かく表示するようになったんです。
    続けるということの意義づけとして、自分で日付を書くのではなくて他者
    ・レシートがいいと思った。
    そのうち朝はオレンジで、夜は青で描くというスタイルになった。
    五冊目ぐらいが、結構充実している。

岡村:装丁も、それぞれ違いますね。

開発:ノートが終わった時に、出かけた場所で買えるものを使っている。海外だっ
    たら、外国のノート。これはヨーロッパへ行った時のノートかな。

開発:なるべく後では見ないようにしている。影響されるものではないと思ってい
    るからね。
    最初の頃は、「描く」「描かない」でピリピリしていたけど、最近は日常
    の中に入ってきていて、線一本だけのこともある。
    作品というよりは、自分の中の問題意識だから、レシートを貼る、朝描く
    、夜描く、という決めごとだけでいいかな、と思っています。

岡村:欠かさず買い物しなくてはいけませんね。

開発:山口では夜十一時五〇分頃思い出して、自転車を借りて、汗だくになってコ
    ンピニを探したりした(笑)。

岡村:本末転倒(笑)。なければないで、いい気もしますが……。

開発:できる限りは実現しておこうと思って。買い続けるということも、意外と意
    味がある。
    これをやっていないと、土・日曜日は外に出ないこともあるからね。

岡村:外とのつながりでの証ですね。

開発:一人の北京原人は有名ではなくても、発掘されることに意味がある。
    僕も一作家としていろいろなデータを残すことに、何か意味があるのでは
    ないかと思う。

岡村:蓄積がモノを言う部分かな。でも、ある意味のリハビリだったんですね?

開発:出だしはリハビリだけど、自然に絵が描きたいと思えるようになった。
     僕は、中学二年で画家になるって決めたんです。
    その前はコックになりたかった。中学二年で何が得意かと考えたら「美術
    」で、それからずっと「美術」だけだった。

岡村:それで、結局、ちゃんと予備校へ行って、デッサンを描いて、大学に入っ
    たんですよね?


開発:大学院を出て、デザイン科の副手までやってしまった(笑)。完全な多摩美
    っ子です。
    たまに美大を出ていない人の作品を見ると、根拠なく「いいな」と思った
    りする。
    美大を出てしまうと、逆に学歴に縛られるのかもしれない。

岡村:私が現代美術に関わるきっかけになってしまったのは、留学先の大学でたま
    たま芸術学部にころがりこんだからです。
    モノをつくることによって、何かを伝えたり、自分も考えたり、人とコミ
    ュニケーションすることが楽しかったし、その場所ではそれが自然にでき
    た。
    なぜ日本ではそれができなかったのか。やろうと思わなかったのか。
    いろいろな形で似たようなことをやろうとしていたのに、そこに行き着か
    なかったのは、受験という選択肢が自分の中に想定できなかったからでは
    ないかと思うのです。
    自分で門戸を閉ざしていた。
    でも違う場所から入ったので、日本の美術がどこから来るのか、すごく不
    思議な感じがしました。
    どこから入っても見えない部分はあるはずだけど、きっかけのところが歪
    んでしまっている。


開発:予備校に来て「ウチの息子、美大ぐらい受かりませんかね?」って言う親が
    いる。
    普通大学に行ける能力がないものが美大に行くのか。
    その時点で、もう歪んでいる。
    でも、現実にそう思われているところもある。

岡村:「総合大学の中の美学部」みたいな形があればいいと思うんですけどね。
    留学から帰ってきたばかりで、破産状態の身には、割りの良いバイトでた。
    留学前は現代美術なんて生活の中になかったから、銀座の歩き方も知らな
    かった。帰りに連れていってもらったりしたのが、話すようになった最初でしたね。


開発:異質な感じだったよね。僕らがカード遊びをしている横で、本を読んでいた
    りして(笑)……。
    どのぐらいカナダへ行っていたの?

岡村:学部の3年の途中から、二年間行っていました。
    戻ってきたら友だちはみんな卒業しちゃったし、お金がないから遊びにも
    行けないし、帰ってきていないってことにして働いちゃおうって、半年くら
    いバイトしたんです。


開発:休学で行っていたの?

岡村:休学は何年かできるんですが、一年目は学費がかからなくて、二年目からは
    半額払うんです。
    その辺で、やめるか戻るか迫られる。


開発:もっと向こうにいたかった?

岡村:その時は、ぼろぼろ泣きました。ここで日本の現実に引き戻されたら、今信
    じているものがまた信じられなくなってしまうと思った。
    でもその一方で、もう帰れなくなってしまうかもしれないという不安感も
    ありました。
    あの時、残りきれなかったこと、持っていたものを捨てられたなかった
    時点で、道が決まってしまったのではないかと思っています。
    そんなに後悔はしていませんが……。


開発:91年の作品の時にはグループでパフォーマンスもやっていたんだよね。

岡村:東京エンジェルスで。

開発:そう。東京エンジェルスでやってた。
    生音楽入りのパフォーマンスのオペラ。
    僕の予備校の先生が、今、ノマドっていうダンスカンパニーをつくってい
    る池宮さんだった。
    彼はパフォーマーだけど、インスタレーションもやっていた。
    僕がインスタレーションをやるようになったのは、その人がきっかけだね
    僕はパフォーマンスも、若手の舞踏も、何も見てもおもしろくなかった。
    「僕がやった方がきっとおもしろいぞ」って思った。とにかく生音楽が欲
    しくて、オペラをやった。
    パフォーマンス・グループということにはなっていたんだけど、「オペラ
    をやるぞー」って回りの友達をかき集めた。

岡村:誰がいたんでしたっけ?

開発:鈴木君、高安君、塩川君。それから映像が中村君。
    ビデオは作品として仕上げてくれって頼んでいたんだけど、彼もそのうち
    頭にビデオとつけて踊りながら撮ったりするものだから、できあがった映
    像はグニャグニャして全然見られない(笑)。

岡村:立派なカタログをつくりましたよね。

開発:あれもは写真家の谷岡さんに頼んだんだ。最初は「一年間しかやらな
    い」っていうことで、無理を言ってみんなに集まってもらった。
   月に一つアイデアを出してもらうんだけど、みんな僕には結構厳しくて、却
   下したりする。結局、六本やったかな。
   鈴木君が四本くらいやって、あと各自が一本ずつくらい。
   作品は、一生懸命つくる割りには一週間しか飾らない。
   だから、その一週間を自分の中でより有意義にするために、パフォーマンス
   をやる。
   見せるためのパフォーマンスだと思って、新聞で号外をつくって画廊の前で
   配ったり、コンパニオンの格好をしてもらって数人で会社の前で配ったりし
   た。
   ギャラリーなつかでは、一〇〇〇人呼ぶためにどうするかをいろいろ考えた

岡村:形とか、数字から入るんですか?

開発:「一〇〇〇」っていう数字が僕には達成を意味してる。
    「一〇〇〇」って僕にとって許容外っていうことで。
    僕の中で、「一〇〇〇」ていう許容範囲がある。
    裏テーマっていう感じかな。
    例えば、10がたくさんを意味した時代もあった。
    僕にとって何かを超える、ことを意味している。

岡村:その都度、自分で決定して、その中でやっていくんですか?

開発:蚤は自然界にいる時は、何メートルも跳ねるんだけど、箱の中に入れておく
    と、蓋を開けても箱の高さまでしか飛べなくなるんだって。
    自分の設定を自分で限定しちゃうと大きくなれない。

岡村:でも、ずっと自分の中に設定はあるわけでしょ?

開発:「365」も「海外でやったら」って言ってくれる友だちも何人かいた。
   ただコミュニケーションは大事だと思う。
   ただの箱が意味あるものになるには、絶対に話し合いと時間が必要。
   話せないと始まらないから、日本でないとできない。
   自分の可能性を超えるための設定とも言えるかも。

岡村:パフォーマンスは、どこかで売名になってしまうところがありますよね。
   観客をないがしろにしてしまうところや、驚かせたり、痛い目に合わせたり
   めちゃったり、利用するようなところ。
   作家にとって、必然性があって生まれたことなのかもしれないけれど、
   個人のレベルになった時に「それはないだろう」っていうことがあります。
   それとは別に、自意識とか美意識という点で、限界を越えていくことにカッ
   コ良さがある。
   でも往々にして、それを追求するあまり、観客に選択の余地を許さなかった
   りする。
   開発さんには、良い意味での「カッコ悪さ」がありました。
   他人の領域にまでちゃんと踏み込んでいく。
   それも土足で入り込むというより、相手の出方に間合を取りながら。
   「これはアートだからいいんですよ」とたかをくくっての「カッコよさ」じ
   ゃなくて。
   美術という砦を離れて本当に他人と関わりを持つということは、相手にとっ
   てもくリスクを強いること。
   相手の立場になれば、自分のプロジェクトを遂行するにあたってても、自分
   の目的だけじゃなくて相手のことをきちんとケアしてフォローしなくてはいけ
   ない。
   365大作戦でも「関わってくれた365人とは一生のおつきあいにする」なん
   て言っていましたよね。
   開発さんは、そのうえ、来るものは拒まず取り込んでいた。
   美術館やギャラリーにちゃかり置いていたり、テレビを巻き込んで、芸能人
   みたいに手を振ってみたり。
   一見、手なずけられているようにも見えるけど、日本の現状でいくら体制批
   判を装っても、美術という体制が貧弱だからある種のスノビズムにしか見え
   ない。
   まぁ、どこまでがアートで、何処までが友達関係の上のことかという枠組み
   の設定の曖昧なところが弱いところかもしれないけど。
   私は、1960年代末や70年代のパフォーマンスなどについて調べながら
   、すご く対抗的というか、反逆的ですあるものの頑なさに「カッコよさ」を認
   めもするけど、現実に向けてに向き合ったときに、相手それぞれの性格や
   人格があるから、そこまで割り切って自分の信念   や美学を押しつけて
   もいいんだろうか、と疑問にも思う。
   開発さんはちゃんと個人と関わろうと、意識的に決めているんですか?

   
開発:あの頃は、自分が吹っ切れていた。
    漠然とどこかに作品を置いて、誰かが来るのを待つというのではく、おも
    しろがって置いてくれる人がいて、そこから不特定多数がたくさん見てく
    れればいいと思っていた。
    たった三六五人だけど、ちゃんと一年間をそれを見続けること。
    三六五人がしっかり体験できるということの方が、漠然と見せるよりはい
    いと感じた。
    テレビも僕の考えから外れないし、なりより参加者が考えたり安心できる
    ことが大事だたから。
    美術館に置いてもらったのも、参加してくれる人が安心感があったり、公
    共の場所に同じ箱が置かれているということで、見比べられる。
    体験者が今までと違う鑑賞方法をもてる。
    「ちょっと散歩がてら美術館に見に・・驍F同じ物があるんだ」、美術館を
    ピラミッド構造の頂点ではなく平たい単純な構造で家庭と同価値にしたい
    と思って、あんなことになったんだ。
    それに、作家側から美術館への発信、投げかけがあったっていいともね。

岡村:その前は割りとコンスタントに画廊や美術館の場で作品を発表していたん
    ですよね。


開発:そう。毎年やっていたら、吹っ切れて見れる感じがした。
    すーっと引くことで、逆に引っぱってくれる人が出てきて、「僕の画廊で
    もやれよ」と展覧会を誘ってくれたりとして……。
    それまでは一生懸命「やらしてください」っていう思いだったんだけど、
    逆に本当に自分がやりたいことをやっていると、魅力を感じてくれる人が
        出てきてくれるんだな、と思った。

岡村:365大作戦には、実は批判しているところがあったり、いろいろなんです
    がアートとして「カッコよさ」を貫いていたと思えなくて、むしろ宙づりな印
    象。
   でもあれをすることでによって広がるものは確かにあったはずで、あれは曖
   昧な部分を抱え込んでいたちはいえ、あそこまでちゃんとやりおおせたとこ
   ろは凄い。
   でも、テレビなんかを容易に巻き込んだことで飼い慣らされたというか、取
   り込まれてしまったようにも見えた。
   最終的には、個と個との問題というところにちゃんと根差しているので「大
   丈夫」なんじゃないかな、とは思いますが・・・・


開発:昔から「みんなに出せなきゃ、誰にも出すな」と思っていた。
    この人には是非、っていうこと。
    ちゃんと見に来てくれる人をないがしろにしがちだけど、ぼくはそういう
    のは嫌いなんだ。
    個人として誰もみんな等しいわけだから、個として付き合う。

岡村:画廊でも美術館館でも、展覧会は結局、そこで行われたこと、やった人と、
    それを見にきた人だけで構成されている。
    一般とか、大衆とか、人々という概念じゃない
    特に個人の展覧会の場合、実際に来る人は、ほとんどDMを見た人とか、
    間接的に聞いた人。
    たどれば、本当に仲間内みたいな人脈しか来ていない。
    現実にそうなんだから、相手を限定するのは、当たり前なんじゃないか
    な。


開発:結局はそうかもしれないけど、その中でも計りに掛けるのってあるでしょ、
    そうゆうのが嫌いなんですよ。

岡村:ただ、「参加するよ」とは言ったものの、いきなり箱が送り付けられた時に
    は、はっきり言ってあまり乗る気で無かったですね。


開発:ただの箱なんだけどね。
    「中にミイラが入っているから、軽率には開けられない」って言うところ
    もあったらしい。
    どこかの人は「?(天使だと言ってくれた)」。 
    鬱状態であれが来て、箱を組み立てることがきっかけ気楽になったんだっ
    て。
    逆にホウキでたたかれるようなこともあった。

岡村:私は実家のベランダに結局置いたけど、家族の受けは悪かった。一度ネッ
    クだったのは、箱に貼ってあった開発さんの写真が暗かったことだと思
    う。


開発:朝一番で撮っていたからね。あれも五年くらい毎日撮っている。
   日記と写真は死ぬまでやるんだ。
   僕は五年撮ったんだけど、十八年、毎日顔写真撮っている人がいるらしい
   ね。

岡村:そこまで行くと強迫観念みたいになって止められないですね。

開発:そうだよね。でもやめる必要ないから、作品として発表しているわけでもな
   いし……。よく二〜三年前の写真を見て、「あの頃は若かったな」って言う
   けど、何だかそれが許せなくてね。
   「あの頃」っていう三年間を全部さかのぼれるものをつくりたいと思って、
   撮り始めたんだ。
   たまに明るくていい感じのものもあるんだけど、ほとんど暗い。これは失敗
   だったね。

岡村:でも失敗とはまた違う。
    あれがすごくシステマティックなプロジェクトだったでしょう。
    そこにあの写真が入ることで、シミュレーションになりそうなところを、
    生々しいパフォーマンスに引き戻している。


開発:あれも一枚一枚、腐らないように脇をニスで塗ったんだ。

岡村:三六五人が、ちゃんと本当に最後までルール通りの参加したんですか。

開発:あれは一〇〇人一緒に始めて別々のルートでやったら、何人残るか、ってい
    う感じだと思う。
    かなり偶然がないと達成できないと思った。
    次にもう一回やったら無理かもしれない。

開発:本当にラッキーだったと思う。
    怒っていたお母さんも、一年後に行ったら「おめでとう」って言ってくれ
   たし。

岡村:でも、一個欠けちゃったんでしょう?

開発:最後の方は、その娘さんのを置いていて、台風で倒れて引っ越しになったか
   ら捨ててきちゃったって。
   芸術学科の人なんで、責めて怒ったんだけど。
   人に委ねちゃったからね。
   でもリング・ロング・ホテルがまた二〇八人集まった。
   参加するという連絡を受けて突然箱を送ると、怒る人がいるから、前よりは
   慎重にやろうかと思っている。
   葉書を一枚書いておけば、良いことだからね。

岡村:引き受けたけど、どこに置いたらいいかわからなくて困るとかね。

開発:最初は電車に乗せるっていうアイデアを出した人もいたんだけど、
    いざモノとして考えると大きいしね。
    穴をあけてラブレターを入れている人もいる。結局くれなかったけどね
    (笑)。

開発:夫婦円満になった人もいる(笑)。
   今、友だちと国立に空間をつくる計画をしているんだ。
   画廊というのではないんだけど、八畳くらい。
   ホームページに架空の画廊をつくろうっていう話もある。

岡村:「コミュニケーション」をよく口にされますよね?

開発:作品はモノでなくて良いと思っている。箱があることで、出会いがある。コ
    ミュニケーションの意味は広いよね。「サン・ロク・ゴ」の時は、いろい
    ろな人との出会いが一年間続くことが目に見えない彫刻だということを思
    い浮かべてもらった。
    想像してくれた瞬間が作品で、そのためにはコミュニケーションが必要だ
    った。
    この前は、韓国で、手をつないで輪になる作品を作ってきた。
    見ず知らずの人が手をつないで熱を伝える。
    その手をつなぐというコミュニケーションで作品をつくった。

岡村:何か、傍から見たらテレビ番組の「電波少年」っていう気がする。

開発:そうだね。でも、僕の方が先なんだ。猿岩石が旅に出る半年前に僕が始めて
    、終わったのが一緒だった。
    準備に2年かかったし。だから「365」を知っている人は、「向こうは
    パクリだ」なんて言って(くれる。

    今度は「ギフト」っていうのを考えている。
    人の思いやって結構重かったりするよね。
    好きだと思って、嫌いなものを持ってきたりするじゃない。
    そういうのを作品にできないかな、と思っている。
    どこかに一カ月くらい隔離されて、プレゼントだけで生活する。
    これを考えたのが去年の九月頃で、いろいろな人に「こういうことをやり
    ます」ってファックスを送ったら、今年の一月から電波少年で「懸賞生
    活」が始まった。
    僕の思考が電波少年的なのか、回りに日本テレビ系の人がいるのか(笑)
    ……。

岡村:根本が同じなのか(笑)……。

開発:たまたま水戸芸にいた黒沢さんに会ったら、「もうやっちゃった?」
    って言われたので、「何か日本だとヤパイ感じがする」って答えたら「そ
    れは違うよ。
    いくら似たことをやっていても、やる人間が違えば出てくる答えは違う」
    って言われた。
    それもそうだなと思う。夏なのに腐るほどモノを持ってきてくれる「思い
    やり」ってあるよね。
    そういう「人の思いやり」が、会場にどういうモノを落としていくかを見
    たい。

岡村:もらうものをモノに限るんですか?

開発:そういうのもあるし、お金に関連したおもしろい展開もあるかもしれない。
    要は、持て来る人の気持ち次第だから僕には予測がつかない。
    
岡村:美術史や過去のパフォーマンスとの関わりは、どう考えていますか?

開発:世田谷美術館の時はグループだったこともあって、実験をしようっていうこ
    とだったんだ。
    例えば、フォンタナの絵の写真を最初見た時、普通は説明がない限り「こ
    れは黒い線だ」って思うでしょう。
    それだったら描いてやれ、って思ったわけ。
    イヴ・クラインは女性をプリントしているんだけど、性的シンボリックな
    部分がプリントすることによって抜けて出て、性差がなくなったようにな
    る。
    だったら、チンチンだけ僕が塗っててみよう、って。
    過去の人の作品の抜け落ちた部分を実験してみたかった。
    台座がひっくり返っている彫刻もあった。日本は書物からどんどん情報が
    入ってきて、台座の抜け落ちた彫刻を流行みたいなスタイルですぐ取り入
    れちゃうでしょう。
    実際は、その間に葛藤があって、彫刻から台座を取るという問題意識もあ
    るのに、その部分がないまま制作している。
    「抜け落ちる前に、一度逆さまにしてやれ」って思った。
    「君が歴史を背負う必要はない」って言われたんだけど、僕は実験として
    やったんだ。

岡村:尊敬する作家とかいますか?

開発:その当時、ジェフ・クーズが好きだったんだ。
    作品じゃなくて、題名で感動したの。
    この現代美術館でも収蔵しいる掃除機とあとラビットの作品。
    最初、作品はイマイチだったけど、題名を見た時に「同じ、ことを考えて
    いる人なんだ」と思った。
    憧れというよりは、「やられた」って思ったね。
    「素材感がまるで違うもの」ということは、僕の中では重要なこと。
    素材がもっているものとまるで違うものができてしまう。
    「錬金術」みたいだけど、例えばレゴも中原浩大の手にかかるときれいな
    彫刻になったりする。
    あのラビット作品はステンレスですごく重いものが、風でフワフワしそう
    なほどきれいだった。
    それから掃除機の「It's new」っているシリーズ。
    ガラスには色があるのに、若い作家は平気で作品をガラスで隠したりする
    ガラスを色として見ているのかどうかわからないし、当然見にくい。
    でもジェフ・クーズの「It'snew」は、あえて囲むことで、普遍的な物に転
    化することに成功している。
    作品保護でもないくせにガラスを使うということがすごく安易で。
    以前、イヴ・クライン側が日本で展覧会をした時に、「ブルーという色を
    ちゃんと見せたいから、ガラスははずさせる」ということを言ったらし
    い。
    それは当然の理由だと思う。
    作品を保護するということと、色としてどう見せるということは、すごく
    重大だ。

開発:僕、人と会う時って胃が痛くなるの。中学校の入学式にも出なかった。
    神経が細いんだよ。

岡村:そんな気がしてました。御自分のイメージを例えると?

開発:現代の「寅さん」でいいや。

岡村:山下清ではなくて?

開発:両方ぐっと入り込むタイプだよね。

岡村:キャラは意識するんですか?

開発:意識していない。自分の中ではサラリーマンの代表。

岡村:スーツ姿のゆえんですよね。
   365大作戦の中継ではいつも決まってあのスーツ姿に、「それでは皆
   さんさようなら」の決まり文句。


開発:あれは、プロデューサーの高橋さんが何も言わなかったのが良かった。
   決めごとがあって、僕の撮影に対して、向こうは口を出さない。
   僕は「夏でもスーツ」をやりたかった。いつも長袖で、上着を着て、早回し
   にした時に僕だけずっと何も変わらない。

岡村:営業トークなんかがそうですけど、コミュニケーションの落とし穴というか
    、そうやって相手の数が増えていって自分が同じことを繰り返しているう
    ちに、自分は相手とわかり合うために努力して上手に物事を伝えようとし
    ているんだけど、だんだん形の方だけ上達して一人歩きしていくようなこ
    とに陥りませんでしたか?

   
開発:陥りそうだと思うんだけど、いざ関わってみると、場所も違うし人も違う。
    美術を知らないと思っている人に毛嫌いされるのではなくて、少しでも懐
    に入るために、例えば靴屋さんなら「靴ならどうですか」って。
   モノをつくることと結局は同じだから、靴の話からでも美術の話はできるし
   そういうふうに変えていくことを学んだ。
   365の時に、お金を取って、喫茶店の人が人を集めてくれた。九州の人で
   、大学にわざわざ「開発君が来る」っていうチラシを貼って。
   「開発君」なんて、誰も知らないんだよ。でも「ドリンク、お菓子付き五〇
   〇円」だった。
   二十人ぐらい集まってくれたかな。
   その中で一人だけ、たまたまその喫茶店で待ち合わせをしていた人がいた。
   「僕はそんな話を聞きにここに来たんじゃない」って怒っている。
   「出ていけ」って行ったら、みんな出ていきそうな雰囲気になっちゃった。
   ニュートラルな感じで見ていたのに、誰かが「嫌い」って言ったことで、み
   んなそちらに引きずられてしまう。
   受け入れ態勢ができている人たちと話すのとは、また違う。
   言葉として作品説明する力っていうか、真実味を試されているようで、ドキ
   ドキする。
   怖いなぁ、と思った。
   ところが、その後にジョンさんっていう外人に会った。
   日本語ができなくて、お互い「好き」「嫌い」ぐらいの言語しかないんだけ
   ど、二時間ぐらい喋ることができた。
   言葉のコミュニケーションはほとんどできな
   いけど、気持ちはすごく伝わった。
   言葉は短くても、真実だったら十分伝わるし、歯切れのいい言葉でなくても
   いいかな。
   悠長になりたい。言葉足らずでも、情熱的な思いやりの気持ちさえあれば。
   そんな経験をした。

岡村:そうゆう体験を含め、現実に立ち合い関わってみないとわからないことって
    たくさんあるでしょうね。


開発:そう。だからあの旅は最終的にはまんざらでもなかった。
    この前、世田谷美術館でやったパフォーマンスは、「ちゃんと見てくれ」
    っていうのがちょっとなくなっていた。
    僕は一生懸命なのに回りがくつろいでいる、「見なくてもいい」っていう
    のをやってみたかった。
    僕が天井からぶらさがって、下ではみんなにワインを飲みながら歓談の時
    間をつくったんだ。
    今までは、倒れるまで走るとか、「見られる」ということを向こうに強要
    していたんだけど、「見られる」ということを強要しないのもおもしろい
    かな?と思っている。
    僕の意識は「見られなくてもいい」って変わったから、おもしろいんだけ
    ど、人に説明すると「それはみんな見るよ」って言われる。
    でも僕の中では変化があるから、やってみたかった。
    それが今までとちょっと違う。

岡村:絶食とかもしてますよね。

開発:あれは作品の中で神になるっていう設定だったからね。
    短絡的と言えば短絡的だけど、欲を一つ削る。
    僕の顔写真を神とするなら、撮られる時に「絶食しているんだ」という意
    識がないと、穏和な顔はとれないと思った。この間のは、それとはまた
    違うんだ。
    鍛えてないから、すごく苦しい。
    二分もたなかったんじゃないかな。

岡村:モノをつくらなくなっちゃったから。でも何かをやっていないと、やめたこ
    とになっちゃって??(笑)構想しているんだけど、努力をしていない。

開発:最近、「昔のものって、いいな」て思うんだ。例えば、九二年に描いたちょ
   っとしたドローイングがあるんだけど、つい最近描いたら同じドローイング
   になった。
   「これは腐っていないんだ」と思った。
   もうそろそろそういうのを作品にした方がいいなか、と思う。

岡村:「すごいこと思いついた!」って思っても、たどってみたら五年くらい前の
   引用だったりしますよね。


開発:人に突っ込まれた時に説明の仕様がないんだけど……

岡村:題の付け方については、何かこだわりがあるんですか?

開発:題を大事にしていたんだけど、ここ何回か、連続で「無題」になっている。
   でも、何かをつくりたい、って出てきちゃう。
   だから今回は「しびれたら落ちた」。
   ってのを題にしていいんだけど、カッコ悪いし、つけようがないんだよな。

岡村:その場のコンテクストをその都度具体的に取り込んでいるものが多い気
    がしますが?


開発:飛行機は、四〜五年間寝かしていたんだ。
    飛行機が、立つのはおもしろいと思っていたんだけど、それだけじゃ漠然
    としていて強くない。
    その後「埃」と出会って、「原発」になる。
    僕にとては原発の傍の砂もここの砂も、基本的には変わらないと思う。
    でも、「原発の傍の砂」っていうことで、意味のない恐怖がある。
    「原発」そのものと言うよりは、そこの砂を取ったことで起こる僕の意識
    とみんなの意識のズレがおもしろい。
    でも、「ヤノベ君だけにしといてくれよ」なんて言われたりしてね
    (笑)。
    「脳みそ停止」に、僕の中で洗脳されてコインロッカーの中で死ぬコイン
    ロッカー・ベイビーが大人になる、っていうのがあったんだけど、その少
    し後にオウム事件が起きた。
    「世相に直でつくる」という言われ方をしたけど、世相ではない部分でち
    ょっとズレているということがある。
    結局そこで生きているんだから、そこでしかつくれないものをつくればい
    い。
    でも、公共性とか社会性はないと思っている。

岡村:自分にそれがないからですか?

開発:自分自身を追求すれば、逆に社会性が追いついてくる気がする。
    そのスタイルの方がいいと思っている。
    自分史をつくりたいね。「僕はこういうことをやってきて、こんな作品を
    つくるんですよ」
    というところまで見せたい。

岡村:自分史を見せるツアーまでやって「ここまで説明しちゃうの?」っていう
    感じでしたね。
    常に自分と作品を一緒に提示するというのはどうかな?


開発:でも、抑揚はできるだけ排除するようにしている。
    パフォーマンスでも「ドラマティック」「起承転結」は好きじゃなくて、
    「しびれたら落ちる」 「走り続けたら倒れる」みたいに、自分とは違う
    ところでオン/オフをつけれるものに限ってやるようにしている。

岡村:フルクサスや60、70年代のコンセプチュアルなパフォーマンスがとる方
    法の一つ?    ある程度枠組みやルールを設定してその中で起こることを待つ。


開発:僕がボイスのことを発表することになって、ボイスの概念は、「ボイス」と
    いう作家の言葉を誰かと話すことでボイスの社会彫刻の概念が広まってい
    る。
    僕がボイスの資料を持つことで、ボイスの作品を拡張しちゃっうことにな
    る。

岡村:ある意味でか「開発教」の信者を育てているみたいなところがある。
    これが「有り」と認めると「有り」になっていく。
    コミュニケーションと信頼によって成り立っているんだけど、どこかでずれが
    出てきて辛くなりませんか?


開発:僕がもっているアイデアではないところで、みんなが集まってきて、あれこ
    れやる。
    それでも胃が痛くなる。
    僕の個としての作品にすれば、僕が全部管理するけど、作品は幅とい
    うか、自分では測りしれないおもしろみを抱えている。
    その風呂敷が勝手に一人歩きして、大きくなっていくのかを眺めないと作
    品はできない。
    途中からちょっと投げたから、ぼやけてしまうところはあったね。
    でも、僕は広がっていく方を選択した。

岡村:それがいい意味でも悪い意味でも365を特徴づけてしまった感がある。
    人が良いのはいいけれど、アートを成り立たせるものが何なのか。
    アーティストとして、何を何処まで管理すべきなのか。
    「アート」ということを前提にした場合のことですが。


岡村:もうすぐ、ニューヨークに行かれるんですよね。
    向こうで何をするか、もう決めているんですか?


開発:ニューヨークでやろうと思っていたことが、九二年のドローイングと同じだ
    ったりする。
    「365」には、「身代わり」という意識がある。
    女性は作品を飾りたいという意識があるみたいだし、男性は旅をしたい
    という意識がある。
    女性と男性はちょっと分かれる。
    ニューヨークに行っても、みんながやってみたいことを僕がその身代わり
    みたいなものがつくれたらいいと思っている。
    当然、今までの制作を続けて、ニューヨークを掃除する埃集めもやってみ
    たい。
    せっかく呼ばれたから、一つのスタイル、つまり「埃」だけに絞って見せ
    た方が安心して見てもらえるとも思うけど。
    あんまりまとめすぎないで、いろいろ手をだしてつくるぐらいでいいかな
    、とも思っている。
    申請した時の手紙にも、「行かなきゃわかりません」という書き方をし
    た。
    でも、本当にそうだと思う「いつか行ってみたい」っていう気持ちがあっ
    たから、新しい文化を吸収して出てくるものをつくりたい。
    こっちでプロジェクトをつくっていくのは陳腐だと思う。

岡村:全然違うことをしたくなるかもしれないし。

開発:そうだよね。本当にわからない。

岡村:美術館に何か期待することはありますか?

開発:山口の美術館がガラスを使った作家の作品をコレクションしているでしょ
    う?
    せっかくいい作品を置いているのに、枯れ草と砂埃がたまっている。
    そういうのを見ると、作品が愛されていない感じで、ちょっと寂しい。
    いろいろなところを回ったけど、そういうところが多かった。
    作家は自分を愛しているし、作品も愛しているんだけど、(作家が当然
    自分で破棄ししまう例もありますが)それを購入してくれている人たちの
    中には意外と愛してくれていない人が多いのかなっていう気がした。

岡村:「自分たちの」という意識が持ちにくいのかも。

開発:それを決めた学芸員が愛してくれればいいんだけど。
    たった一年でも、移動になって学芸員をやめちゃったりしていることもあ
    る。
    それもちょっと寂しかった。

岡村:そういうのって、やっぱり見えるのかしら?

開発:美術館をつくっていく人たちには、それぞれの作家が抱えているようなむし
    ゃらさが、足りないんじゃないかな。
    中にいる人が、美術館をつくっていくんだからね。

岡村:自分を省みる時によく言い聞かせるんですが、良いキュレーターか悪い
    キュレーターかを見分ける時は、まず人を魅きつける、元気にさせるパ
    ワーがあるかどうかで判断しろと言われたことがあります。
    少なくとも現代美術に本気で関わろうと思ったら、陰気な人はだめ。


開発:人と話す時も、「とりあえず元気さだけはって思うよね。

岡村:開発君は会った頃から、何かやりそうなパワーがあった。圧倒的な感じじゃ
    なくて、すごく人をいい方に勇気づけ、巻き込んでくれるような感じで、ア
    ートに限らず、何をしてる人に対しても、「がんばろう」と言ってるような・・・・・。

   
開発:褒められベタなんだ。

岡村:でも、もしかして騙されているんじゃないかなって、チラッと思うけど、(笑)。

開発:よし、じゃあ、それを強くしていこう(笑)。
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